いろんなところに いきたいんじゃけ

いろんなところに いきたいんじゃけ

広島から日本中、世界中へ旅するみいちゃんの旅ログです。

2018 まとめ

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旅ブログではありません、すみません。

沖縄ブログ下書きまではしてるんだけどね、なかなか執筆意欲が、、、

 

 

10回以上も旅にでていた自由奔放な去年と比べ、今年はとても堅実な1年間だった。頻度は多くないけれど大事な友だちと定期的に会って、初めて自分で考えて保険に入り、車を買い、これから先の住処として2年前に亡くなった祖父が住んでいた(15年前までわたしも住んでいた)家のリフォーム計画を進めた。回数は減ったが、春夏は名古屋や沖縄、別府に旅行もいった。いきものや自然との出会いがある旅がとても好きだと改めて感じる。そういえば、これまでの旅行の思い出を大切にしようとブログをはじめたのも今年だね。毎年欠かさずいっていた夏フェスやライブには、爆睡してしまった絢香を除いて、1度も足を運べなかったことだけが今年最大の悔しいポイント。その満たされない気持ちはボヘミアンラプソディー をIMAXで観ることでだいぶ解消されたよ。IMAX様々。

 


仕事は自分の力不足のおかげで思うようにはいかないけれど、クラスの子どもたちのことは本当にかわいくて、楽しみながら働けてると思う。保育士の仕事は好きだけど、常に自分で何かしてみたいという気持ちはどこかにある。セブンルールにでてくる女の人たちみたいに、自分の仕事がしたい。でもカタチとしてイメージするのがまだ難しくて、なにがしたいのか、なにが好きなのか、ずっと前から考えているけど未だによくわからない。まだその何かに出会ってないだけなのか、気付けてないだけなのか。ゆっくりでいいから、いつかちゃんと見つけて何か自分でできたらいいな。人の心が優しく、嬉しくなるような仕事をしたい。保育士もいいんだけど、もっとマイペースに働けたらいいなあ。

 


そして何よりも今年1番のできごとは、はじめての妊婦生活がはじまったことである。夏終わりにお酒のんですぐ気持ち悪くなったり、からだがいつもと違う気がしていたら妊娠発覚。ただいま妊娠6ヶ月目。おなかも大きくなってきて、いまブログを書いている間も小さな我が子はおなかをポコポコ蹴っている。仕事の運動会の時期とつわりのピークが重なり、かなり辛くて、家ではほとんどベッドで過ごしていたんだけど、かずくんも仕事で疲れてるのにしばらくの間家事をほとんどしてくれて。色々勉強してくれて、からだを気遣ってくれて、なにより赤ちゃんに会うのを心から楽しみにしてくれていることが本当に嬉しい。胎教だかなんだかわからないけど、にこにこしながらファミマやらのど黒飴やらのCMソングをお腹にむけて歌ってくれたりしてる時間はとっても楽しい。この人と結婚できてよかったなあ。去年受け持った0歳クラスで、生後3ヶ月からみていた他人の赤ちゃんのことでさえ、今でもこのうえなくかわいく思うのに、かずくんと自分の赤ちゃんなんて愛おしさが計り知れないんじゃないかといまから我が身が心配である。これから先の人生、家族の暮らしの中には、かわいいや幸せだけじゃない色々なことが確実にあるとは思うけれど、変わらずなかよく力を合わせてやっていきたいなあと思う。


そして、新しい命の育ちを常に感じていたこの数ヶ月の間には、大事な人の人生のおわりにも二度と立ち会った。死に触れたのは初めてではないけれど、人が生まれてから死ぬまで、"生きる"ということについてこんなに体感したのは今年が初めてだった。


不謹慎なのかどうなのかはわからないが、数年ぶりに家族、兄弟、従兄弟、親戚みんなで集まって故人のことを話しながら食事をする場は素直な感想を述べると、楽しさもあった。わたし自身はもう何年も、じいちゃんとちゃんと会話をすることもなかったし、あまりお見舞いにも頻繁にはいけなかったけれど、それでもやっぱり27年間を振り返ると従兄弟たちと共有できる楽しい話はたくさんあった。もちろん、わたしの知らない話もたくさんある。これが50年以上連れ添ってきた祖母や、娘息子である母や叔母叔父にしたら数えきれない程の思い出だろうと思う。余命宣告されてからずいぶんと長く生きた生命力の強いじいちゃんだったから、ある程度の覚悟はみんなもともとしてただろうけど、きっと思い出の数だけ悲しみも深い。

だけどその悲しみを一緒に抱えていく存在として、パートナーが、子どもが、孫がいる。祖母を支える母や叔母叔父、それを支える孫たちの姿をみて、祖父がこれまで生きていた人生そのものを感じた。祖父がどんなことを考えて、何をして生きてきたのかは正直よくわからない。けれど、生まれてから死ぬまでの85年もの長い年月のなかで、"生きてきた"ことは、わたし自身が身をもって証明しているのだと感じた。そしてわたし達がいまここにいるのは、そうやってご先祖様たちが人生を繋げてきたからなんだな、と。葬儀場や火葬場において、このうえなく死に直面している場面であっても、わたしのおなかの中では、まだこの世に生まれたとされていない命がしっかりと何度も元気に動いていた。死への悲しみや不安が、次の生によって癒され、繋げられていく。

結婚するということは、なんて奥深いことなのだろうか。これまで全く繋がりのなかった親族のなかに、一員として迎えられるなんて信じられないことだ全く。あたたかく迎えてくれるかずくんの家族に本当に感謝している。かずくんちの法事でのお説法で「慈しむ」ことについてのお話を何度か聞いた。とてもいい言葉だなあと思って、子どもの名前に使ってもいいなとも思ったんだけど、お話についてはもうあんまり覚えてないや。笑

そうやって、ここまで繋げられてきたいのちを、大切なひとたちの人生を、繋げていくまっただ中にいま自分がいるなんて本当に不思議である。

いま色んな人の生き方や家族のカタチがあるし、なにを感じても、どんな選択をしても、間違ってるとは思わないけど、わたしはこの貴重な経験を、これから先の人生において大切にしていきたいと思う。

 

 

 

そんなことを思った2018年の後半、感じたことをまとめたくてこの場を借りて(自分のブログではあるけれど)文章にさせてもらいました。2019年はどんな年になるかな。あかちゃんとのくらしがたのしみだー。お願いだから、元気にうまれてきてくれますように。

 

 

それではみなさん、良いお年をお迎えください。

ぜひ2019年は、わたしと一緒においしいお寿司とレアのお肉をたべましょう。